小椋神社(大津市仰木)

小椋神社。

大津市仰木に鎮座。

式内社 小椋神社に比定される神社。

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境内

一の鳥居

社頭の交差点から200mほど南東にあります。

 

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

参道

 

狛犬

 

手水舎

 

天神川を渡る橋

 

境内

 

手水鉢

社殿

拝殿

拝殿の後ろにあるのは境内社の大宮神社と若宮神社で、小椋神社の本殿は拝殿の左手にあります。

 

本殿への石段と狛犬

 

狛犬

 

本殿手前の石灯籠

田所神社とは当社の旧称。

 

田所神社の扁額

 

拝所

 

小椋神社本殿

 

扁額

 

本殿周囲の石造瑞垣は鎌倉時代のもので、国の重要美術品にも認定されているのですが、参拝時は気づかず未撮影。

 

境内社等

拝殿後方

拝殿の後ろに2社

右が大宮神社、左が若宮神社。中央は御供所です。

 

大宮神社

 

大宮神社扁額

 

大宮神社狛犬

 

若宮神社

 

若宮神社扁額

 

若宮神社狛犬

 

御供所の裏に神竹苑

 

湯立竃

 

神輿蔵

 

初代一の鳥居

埋まっているのか柱がないのかはわかりませんが、貫から上のみが見えています。

本殿付近

本殿左に菅原神社

 

本殿右に春日神社

 

神饌所

 

公文所

 

経塚(たぶん…)

 

境内図に遥拝所と書かれた場所

「明治天皇を仰ぐ」という碑があるので、明治神宮遥拝所か。

 

境内奥から水を引いている?(この時は水は流れていませんでした)

 

社名不詳の境内社

 

塚本神社

 

多賀神社

境内奥

本殿左手から奥へと道が続いています

 

右手に仰霊社

 

その近くに石仏(境内案内によると地蔵菩薩)

 

道の左手に石橋が掛かっていて…

 

渡って左手に神力稲荷神社

 

歌碑?

 

稲荷神社の向かいには神苑

 

境内最奥部に5社が鎮座

 

一番左に神明神社

 

左から2番目に今宮神社

 

今宮神社扁額

 

今宮神社狛犬

 

左から3番目に新宮神社

 

新宮神社扁額

 

新宮神社狛犬

 

新宮神社の後方に龍宮神社(眼の清水社)

 

後ろの石垣には注連縄が掛けられた池?や石樋もあり

 

一番右手に子安神社

社務所付近

祓戸神社

 

井戸

 

大杉

 

注連縄の掛かった木と献灯台

境外

社頭交差点から100mほどのところに山地神社

 

山地神社斜向いに立つ石碑

どうも文字は「闇龗大神参道」で、小椋神社奥宮(旧地)の瀧壺神社への参道を示す標のようです。

 

また参拝時は知らなかったため行っていませんが、JAレーク滋賀仰木出張所の隣(位置)に御旅所があり、仰木小学校の南(位置)に御供所があります。

由緒

小椋神社 境内図

由緒

小椋神社は、天安二年(西暦八五八年)、第五十五代文徳天皇の皇子、惟喬親王により創祀された古社です。五社の氏神様を中心に、その他、十の境内社が鎮まられ、仰木をはじめ千野、仰木の里一帯の氏神様としてお祀りしております。

例祭

五月二日 宵宮

五月三日 仰木祭り

文化財

◆石造瑞垣(国の重要美術品)

正安二年(西暦一三〇〇年)鎌倉時代の作品で、昭和二十三年、国の重要美術品に認定されました。

◆仰木太鼓(大津市無形民俗文化財)

例祭の進行役を担う太鼓。古来より四つのリズム「集来打ち」・「宮立ち」・「雨乞」・「大宮太鼓」が受け継がれています。平成三年、大津市無形民俗文化財に認定されました。

御祭神・御神徳

◆大宮神社

天安二年(八五八年)

伊邪那美神(いざなみのかみ)

夫婦円満・子宝

◆小椋神社[田所神社]

貞観元年(八五九年)

闇淤加美神(くらおかみのかみ)

祈雨・止雨・灌漑

◆若宮神社

延喜二年(九〇二年)

稚日女神(わかひるめのかみ)

殖産・家内安全

◆今宮神社

建久元年(一一九〇年)

大穴持神(おおなむぢのかみ)

縁結び

◆新宮神社

建久元年(一一九〇年)

少彦名神(すくなひこなのかみ)

無病息災

創建時期は不詳。

社伝では天智天皇6年(667)に丹生川上神社からの分祀とされます。

当初は天神川(参道を横切っている川)を2kmほど遡った仰木峠入口付近の「竜ヶ谷滝壺」に鎮座し、貞観元年(859)に源融が現在地の葉広山に遷したといいます。

「竜ヶ谷滝壺」は八大龍王が棲むと信じられ祈雨の祭場となっていたことから、当社は水源信仰に発し、のち現在地に里宮が営まれたものと考えられます。旧地には現在でも奥宮が祀られており、瀧壺神社と称しています。

 

 

延喜式神名帳にみえる「近江国滋賀郡 小椋神社」は当社に比定されています。

また、日本三代実録 貞観5年(863)12月3日辛酉条に「近江国少杖神…授従五位下」とみえる少杖神は、式内社に比定される小槻大社(位置)とする説と、「小椋神」とみて当社とする説とがあるようです。貞観17年(875)12月5日甲寅条に「近江国…小丈神従五位上」元慶6年(882)10月9日戊申条に「近江国…小杖神…従五位上」とそれぞれみえる小丈神、小杖神も同様(が、『式内社調査報告』『日本の神々』は貞観5年の叙位にしか触れておらず、その辺りの詳細は不明)。

 

現社地には天安2年(858)に、惟喬親王によって大宮神社が創祀されており、小椋神社は一年後にその境内へ遷ってきた形です。

その後延喜2年(902)に若宮山に鎮座していた若宮神社を神告によってこちらの境内に遷座。

この頃に「大比叡や葉広の山の山元に仰木の岬舟や出ずらん(詠み人知らず)」という和歌が詠まれたという伝えも。

建久元年(1190)、日吉神社の摂社十禅師明神を新宮神社、石居明神を今宮神社として本社の奥の高い所に祀り、五社明神が列座。

日吉大社の社外108社の一つともされていました。

 

近世には田所神社、五社大明神、日吉別社明神と呼ばれており、近代に入ってからも昭和20年まで田所神社と称していました。

当社の県社昇格は終戦直前の昭和20年8月とかなり遅い時期なのですが、これは社名によるところも大きかった様子(小椋神社への改称が昭和20年、昇格との順序は不明ですが改称と県社昇格の申請を同時に行ったのか)。それ以前は村社。

 

現祭神は闇龗神。

『式内社調査報告』『日本の神々』は配祀神(本殿に併祀)として猿田彦神、伊弉冉神、稚日女命、少彦名命、大穴持命を挙げていますが、猿田彦神以外は境内社の大宮、若宮、新宮、今宮の四所の祭神のため、配祀(併祀)は誤記では?とも思います。

猿田彦神については『平成祭データ』や滋賀県神社庁のページでは主神扱いで挙げられており、これもまた詳細不明(元から主神の一柱なのか、合祀社の祭神だったのか…)。

『神名帳考証』は木霊、『仰木村志』は「祭神猿田彦神 相殿源満仲公」または「巨木霊神」とし、さらに八大龍王として信仰されたとも記します。

源満仲については当社由緒に「円融天皇の御宇貞元二年(西暦九九七年)鎮守府将軍源満仲公功就りて老後を佛門に入らんとして六十六才の時摂津多田荘より仰木に来り時の名僧比叡山横川なる恵心僧都に帰依し此の地に舘を構へて約十年間在住せられ其の間当神社を崇敬せられ又元の多田へ帰り八十八才にて没す」とあります。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

本社、奥宮の瀧壺神社の他に、兼務社の雄琴神社(位置)、融神社(位置)、八所神社(位置)、還来神社(位置)の御朱印を授与されています。

アクセス

湖西道路の仰木雄琴IC(位置)を降りて、県道315号を北西方向に進みます。

1.5kmほど先、仰木郵便局前交差点(位置)に当社や覚性律庵、奥比叡ドライブウェイの案内が出ているので、それに従って西方向へ(仰木雄琴ICから来たなら、左前方の道に入る)。

500mほど行くと右手に鳥居が見えるので、そちらに曲がります。ここで曲がり損ねると奥比叡ドライブウェイの料金所に行ってしまうので注意(行っても折り返させてもらえると思いますけど)。

鳥居の左手に広い駐車場があります。

神社概要

社名小椋神社(おぐらじんじゃ)
通称
旧称

田所神社

五社大明神

日吉別社明神

住所滋賀県大津市仰木4-38-55
祭神

闇龗神

猿田彦神

現祭神

木霊

『神名帳考証』

猿田彦神 または 巨木霊神

『仰木村志』
相殿源満仲公『仰木村志』
配祀

猿田彦神

伊弉冉神

稚日女命

少彦名命

大穴持命

『式内社調査報告』

『日本の神々』

社格等

式内社 近江国滋賀郡 小椋神社

日本三代実録 貞観五年十二月三日辛酉 少杖神 従五位下

日本三代実録 貞観十七年十二月五日甲寅 小丈神 従五位上

日本三代実録 元慶六年十月九日戊申 小杖神 従五位上

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://ogurajinja.org/
備考2kmほど西に奥宮・瀧壺神社

参考文献

  • 「小椋神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「小椋神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十二巻 東山道1』皇學館大学出版部, 1981
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第五巻 山城・近江』白水社, 1986