草薙神社。
有度山(日本平のある山)北麓、清水区草薙に鎮座。
式内社 草薙神社に比定される神社。
境内
社頭
鳥居
日本武尊像
参道
手水舎
随神門
狛犬
脇参道?の鳥居
社殿
拝殿
本殿
境内社等
社殿左手の境内社(南九社)
社殿右手の境内社(北九社)
神社でいただいた参拝のしおりには北九社 南九社とありますが、個別の社名までは記載がありません。
おそらくそれぞれに社名表示がされていると思いますが、確認・撮影をし忘れました。
『静岡県神社志』に記載の境内社は、浅間社・天皇社・山神社・賀茂社・子安社・内宮社・八幡社・楠社・住吉社・愛宕社・白髭社・厳島社・稲荷社・荒神社・天神社、さらに稲荷神社・天皇社・八幡社の18社。
このうち楠社は後述御神木前の祠だとすると残りは17社となり、1社足りません。謎。
神楽殿
昔の花火の打揚げ筒(木砲)
内径 3寸(9cm)
〃 4寸(12cm)
江戸の隅田川の川開きに花火が用いられるようになったのは、享保18年(1733年)で主役は「立花火」と「仕掛花火」や「流星」でまだ打揚げ花火はない。文化7年(1810年)清水正徳著「火砲要録」に「狼烟花火」を木砲にて打揚げたとある。この打揚花火は「長頭」と呼ばれ円筒形の茶筒のような玉に星類を仕込んでいた。「火乱星」とは直径2~3cmの竹に黒色火薬を堅く詰めこれを割り、砕いて仕込んだ。木砲の底にハネコと呼んだ揚薬を用い、それに導火で点火して打揚げたと云ふ。其の木砲が草薙神社に数本伝えられ保管されている。
無形民俗文化財
文化財保護法により昭和五十九年三月十六日付
静岡県選択 無形民俗文化財
保護団体 草薙神社龍勢保存会
龍勢(流星)煙火の由来
戦国時代の天文十二年(西暦一五四三年)初めて火縄銃と黒色火薬が伝来したのち、城攻め用の「火矢」から転じて「のろし」が考案された。「昼のろし」(龍勢」は煙や布きれ又は旗などを漂わせて「夜のろし」(流星)は光で合図しあうものであった。駿府城と久能東照宮の守りとして、この技法が当地に口秘伝のまま受け継がれきて、更に工夫改良され、安政年間からは日本武尊を祭神とする草薙神社の秋季例大祭日(九月二十日)に打ち上げが行なわれ現代に伝わっています。
龍勢(流星)煙火の仕組み
この龍勢(流星)は「のろし」に始まったと言われます。約十五メートルもある尾竹竿に、ロケット式火薬噴射竹筒を結びつけ、その上端部に各種の変化花火を仕込んである仕掛筒を固着した構造です。
発射ヤグラに掛けロケット式火薬噴射筒に点火、火薬の燃焼ガスの大音響とともに、自力により上昇展開する仕組みになっている。龍勢花火の製作・打上げは保存会員より実行される。
御神木 大楠
樹名 大楠
樹齢 一、〇〇〇余年
樹高 十五米余
周囲 二十米余
この大楠は樹心は朽ちて外皮を残すのみと雖も
今尚枝葉は繁茂し御神木の威厳を保っている。
昭和三十七年九月十七日清水市指定文化財の天然記念物に指定された。
御神木前の祠
大鳥居(現存せず)
社頭から1kmほど、国道407号の交差点に、2020年まで大鳥居が建っていました。
1975年に建てられたことはわかっているものの、所有者が不明でした(神社の所有ではなく、近年の調査でも所有者が見つからなかった)。
老朽化で表面のコンクリートが剥落しており、倒壊の危険もあるとして2020年9月に撤去(所有者不明のため行政代執行)されました。
大鳥居
上部のコンクリートが剥落しているのがわかります
貫の扁額に近いところにテープのような補修も見られます。
扁額
大鳥居脇の社号標
鳥居撤去後の写真を見るとこの社号標もなくなっています。
鳥居については話題になっていたのに、社号標に触れている人はおらず、鳥居撤去後の行方は不明。
由緒
一、御祭神 日本武尊
一、御創建 景行天皇五十三年
一、例祭日 九月二十日
景行天皇第二皇子の日本武尊が東国の蝦夷が叛いたので、之を平定するため吾嬬国に行く途中、この地で逆賊が起こり尊を殺そうとして原野に火を放った。
尊は佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ火を逆賊の方へなびかせ尊は無事に難をのがれた地を草薙という。
その後佩用されていた天叢雲の剣を草薙の剣と名称を変更になり草薙神社に神剣として奉られる。
今より一、八六〇余年前である。
創建時期は社伝によれば景行天皇53年(123)9月20日。
景行天皇が東国巡幸の折、当地に一社を建立し日本武尊を奉祀、御霊代として草薙の剣を奉納されたことに始まるといいます。
この伝承に基づき当社例祭日は9月20日に行われます。
日本武尊は東征の途次、逆賊から野に火を放たれ焼き殺されそうになりますが、伊勢神宮で倭姫命より戴いた剣(天叢雲剣)を抜き、「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と唱えて剣を振り草を薙ぎ払い、向火をつけて難を逃れたとされ、その伝承の地が当地だといわれています(ただし相模国小野や駿河国焼津とする説もある。それぞれ小野神社、焼津神社がありいずれも日本武尊が祭神)。
この出来事から、天叢雲剣は草薙剣に改名されたとも。
その後草薙の剣は、天武天皇朱鳥元年(686)に熱田神宮へ遷されたとされます。
ただし熱田神宮由緒は草薙の剣は創建(景行天皇43年、西暦113年)当初から熱田神宮に祀られており、天武天皇7年(668)の盗難事件を経て、朱鳥元年に熱田に還座したとしています(盗難から戻った後、還座まで宮中にあったとも言われますが不明)。
往古の鎮座地は天皇原(当社より約七丁)より西に去ること約一丁のところと伝わります。
現在、旧地に比定される場所には古宮という小さな祠が祀られています(位置)。
遷座時期は平安時代とも、天正18年(1590)とも。
延喜式神名帳にみえる「駿河国有度郡 草薙神社」は当社に比定されています。
武家の崇敬を受け、天慶年中(938~947)藤原秀郷、天喜年間(1053~1058)源義家から報賽されたといわれます。
建武年中(1334~1336)今川範国が社殿再建。
天正18年(1590)徳川家康が社殿等造営。
現社殿は天保14年(1843)再建のものだそう。
明治6年郷社列格、同12年県社昇格。
祭神は日本武尊。
社伝には、古くは草薙の剣を祀ったが、剣が熱田神宮に移されてからは日本武尊を祀ったとあるようで(『式内社調査報告』)、『神名帳考証』に草薙剣霊とあります。
『式内社調査報告』は天照大神を配祀するとしていますが、参拝のしおりや『平成祭データ』には見えず。
地域内に20余の伝説が伝えられている。他地域に比較して極めて多く存在し、かつ、草薙地内に集中している。
発祥の時期は不詳であるが、草薙神社の信仰が広まるとともに創作されたものと推察される。
伝説の内容と発祥地
①御犬ヶ森 字御犬ヶ谷 (この辺り?)
尊が狩りの時、犬を放った場所という。かつて犬の栖があったと社記に記されている。(神社の南方)
②手水ヶ谷 字手水ヶ谷970(この辺り?)
尊が狩りで汗をかいた折り、ここの清水で手を洗われた所という。
③鞍下ヶ谷(鞍卸ヶ谷) 字鐙ヶ谷986(この辺り?)
尊が野火の難に遭った時、鞍より下りた所という。
④御座の松(この辺り?)
尊が狩りの時、松を折り敷き、憩いをとった場所といわれ、松の下に小祠を建て、大山祇尊を祀る。
⑤柳ヶ沢(この辺り?)
尊が狩りをした時昼食に柳を折って箸とした所。草薙神社の祭事には必ず柳箸を使用している。
⑥首塚稲荷 字東山1124(位置)
尊が征伐した賊徒の首を埋めたと伝えられる場所である。後世、野狐の栖が多くなり、一社を建て稲荷の神(宇迦之魂)を勧請した。昔はこの地から多量の人骨や古武器が出土したらしい。
⑦東護の森(社) 字東護1154(位置?)
尊が賊徒を鎮圧した後、戦勝を報告し、さらに東方鎮定の祈願をするために、天照皇大神を祀った所という。景行天皇40年の創建と伝えられる。
⑧駒ヶ原 大字馬走字駒ヶ原(この辺り?)
尊が駒を放ち、草を与えた所という。クマンバラという。元は草薙に属したが、何時の時代か馬走に売渡された土地といわれる。
⑨天皇社 字天皇原61番地(大鳥居跡付近?)
景行天皇が日本武尊を偲び、この地に行幸した時、鳳輦を留めた場所と伝えられ、この地に天皇の神霊を遷した天皇社(明治末年草薙神社に合祀)を建て祀っていた。古地名ではこの一帯を天皇原と呼ぶ。
⑩古宮 字天皇原56番地(位置)
草薙神社が最初に創建された所。
古伝では、景行天皇53年、天皇が東国に巡幸の時、日本武尊を偲び社を建てたという。現在、小社が存在する。
御座の松だけ訂正入ってますが、元は末尾が「大山祇尊を祀り、草薙神社の奥の院という。」だったようです。訂正の理由は不明。
一応地図やネットの情報からそれらしき場所のGoogle mapリンクを付けておきましたが、現地確認したのは古宮のみ。首塚稲荷と東護の森はmapに登録されているので概ね正しい位置かと思いますが…
地図
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
県道407号で草薙駅の方へ向かい、草薙駅前交差点の一つ隣の交差点(位置)で南東の道に入ります(以前はここに鳥居があってわかりやすかったのですが…)。
そのまま道なりに1kmほど行くと社叢が見えてきます。
駐車場は鳥居の左手、道路を挟んだところにあります(位置)。
ちょうどカーブのところにあるので微妙に見通しが悪く、特に出るときは注意。
神社概要
社名 | 草薙神社(くさなぎじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 草薙大明神 | |
住所 | 静岡県静岡市清水区草薙349 | |
祭神 | 日本武尊 | 現祭神 |
草薙剣霊 | 『神名帳考証』(熱田神宮に遷される以前?) | |
社格等 | 式内社 駿河国有度郡 草薙神社 旧県社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | あり | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 往古は天皇原の西に鎮座 |
参考文献
- 「草薙神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「草薙神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 教部省編『特選神名牒』磯部甲陽堂, 1925(国会図書館デジタルコレクション 184コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988
- 静岡県郷土研究協会『静岡県神社志』静岡県郷土研究協会, 1941
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十巻 東海』白水社, 1987
- 中村高平『駿河志料 第2編』静岡郷土研究会, 1930, p.30-31(国会図書館デジタルコレクション 35,36コマ)
- 伴信友『神名帳考証』(『伴信友全集 第一』国書刊行会, 1907-1909(国会図書館デジタルコレクション 123コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『明治神社誌料』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 883,884コマ)
- 度会延経『神名帳考証』(佐伯有義編『神祇全書 第一輯』思文閣, 復刻版, 1971.所収)