倉吉八幡宮(倉吉市八幡町)

倉吉八幡宮。

倉吉市八幡町に鎮座する八幡神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

社号標脇の碑(?)

 

手水舎

 

参道

 

随神門

 

随神像

 

八幡神社随身像

平成28年10月21日14時7分、最大震度6弱鳥取県中部地震発生、大鳥居崩壊、玉垣・石灯籠・こま犬が転倒、石垣が崩れ随身像も大被害を受けた。修理費用78万円 修理工法伝統的修理(全部材解体後欠損部補修色彩前の状態に漆で復旧、古色塗り)

(修理先)太子講 和数寄人 山根賢志、(仏師)小谷和彦

(八幡神社宮司)会見玲郎、(八幡神社総代長)廣谷啓一、(随神修理担当総代)難波誠

日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)、矢大神、左大神とも言う。神社の門のうち、門の左右に随身を安置した門のことを「随身門」と呼ぶこともある。

社(随身門)は明治初期、小川酒造様が寄進されたもので、随身像は江戸中期のものである(会見宮司)

 

左下の写真が修繕前?

 

狛犬

 

石段

 

石段上狛犬

 

さらに石段

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

社殿周囲の岩・岩盤

境内社等

白瀧稲荷神社

 

ミニお狐さん

 

荒神社

 

金屋子社

 

おそらくこの近く(本社社殿の並び)に武内社があるはず(社名札だけ撮っていたので位置は不明…)。

 

石祠?

 

境内社側の石段

 

古い鳥居?

 

小祠

 

八衢社

 

足大耳六社

 

柱だけになった鳥居

 

狛犬

 

天満宮

 

境内社

由緒書に摂末社として上記の社以外に厚生社の名が見えるので、それがこちらでしょうか。

手前の扁額は倒壊したというかつての大鳥居の扁額?

 

記念碑

平成二十八年十月二十一日発生の鳥取県中部地震により倉吉八幡宮は、大鳥居の倒壊等甚大な被害を受けました。

氏子の皆様を始め関係者の方々からの義援金と各方面からの浄財によりまして復興を進めることが出来ました。

ここに、記念碑を建立し皆様方のご支援に対しまして末永く感謝申し上げるものでございます。

由緒

創建については複数説があります。

  1. 摂津国、現在の神戸市中央区に鎮座の生田神社からの勧請とする説
  2. 文明18年(1486)に因幡守護・山名豊明が石清水八幡宮の分霊を勧請し社殿造営、その後衰微したところを永禄年間(1558~70)に毛利元就の重臣伊藤加賀守が再興したとする説
  3. 久米郡小鴨庄の豪族水谷出羽守が鹿首村(享保16年に生田村に改称したという)に社殿を造営、宇佐八幡宮を祀ったとする説

神社由緒書は「御祭神の応神天皇「ほんだわけのみこと」に用いられている文字からは、宇佐八幡宮からの勧請が推測される」としています。

ただあわせて、小鴨地区生田にある水谷一族最古の墓が元禄年間(1688~1704)のものであること、一族の伝えでは水谷出羽守は備中松山城主として当地で元禄年間に死去しているとされることから、3つ目の説は後世の作り話の類と思われる、とも記されています。

 

かつて現社地付近は久米谷と呼ばれていたため、久米八幡とも称されました。

 

明治元年に生田神社と改称し、その後村社列格。

明治26年、八幡神社に改称。

大正2年、倉吉町大字余部谷字四十二丸鎮座の村社谷田神社(祭神:須佐之男命・宇迦之魂命)を合祀。

(『平成祭データ』は宇迦之魂命を主神の一柱に、素戔嗚尊を合祀神としているのですが、この合祀の経緯を見ると怪しいところ)

『平成祭データ』『日本歴史地名大系』ともに社号を八幡神社としていますが、登記上は倉吉八幡宮。近年になって変更したのでしょうか。

 

なお検索すると、元は生田にあり明治22年に当地に移転、とするネット上の情報が見受けられました。

これは由緒書や『鳥取県神社誌』には記載がありません。

『日本歴史地名大系』は、生田神社からの勧請説に続けて「鎮座地を生田森と号したのが生田村の由来とされる」とも記しています。さらに「生田村は享保16年(1731)に鹿首村が改称したものとされ、天文13年(1544)の洪水で同村が流失したため現在地へ移転したらしい」とします。

これが事実であれば、当社ははじめ旧生田村(現社地から見て小鴨川対岸、現在の生田・丸山町)に鎮座、天文13年の洪水による村の流失を受け現在地に移転」となります。

同書によれば、寛延(1748~51)頃の倉吉絵図では打吹山(位置)の南西後方の山間に描かれているといいます。

また、先述の通り現在地は久米谷と呼ばれていたとされますが、平成元年6月23日の鳥取県公報第6077号において「倉吉市八幡町字久米谷」の字廃止が告示されています。

これらのことから、移転があったとすれば明治22年ではなく、天文期だったのではないかと思われます。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

北条湯原道路の倉吉ICを降りて国道313号を南下、生田橋入口交差点(位置)へ。

交差点を左折して500mほど行くと(位置)、右手の路肩に「八幡宮←」の案内があるので、左折。

上っていくと社頭。境内から道路挟んで南側に社務所及び10台ほどの駐車場があります。

参道右手にも広めの駐車場があるのですが、閉められていました。祭事の時だけ開けるのかもしれません。

神社概要

社名倉吉八幡宮(くらよしはちまんぐう)
通称
旧称

久米八幡

生田神社

八幡神社

住所鳥取県倉吉市八幡町3591
祭神

誉田別尊

神功皇后

仲哀天皇

武内宿禰命

宇迦之魂命

合祀素戔嗚尊
社格等旧村社
札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「八幡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
  • 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 173コマ