石田神社。
寒川町石田東に鎮座。
式内社 布勢神社の論社で、雄装熊八幡、小十九間八幡とも称される神社。
境内
社号標。郷社石田神社の左右に式内布勢神社 式内大蓑彦神社とあります。
どちらも現在は石田神社の境外末社扱いのようなので、この表記なのかもしれません。
鳥居
随神門
かなり新しい手水舎。奥に映っているのは雄装熊会館なる建物。こちらもかなり新しくきれいです。
社務所と参集殿?
なんだろう。御旅所?
裏参道の鳥居
裏参道注連柱
社頭から布勢神社方向へ150mほど行ったところにある鳥居
もしかしたら布勢神社のかも…
社殿
拝殿
本殿
境内社
祓戸社
境内社2社
『日本歴史地名大系』に「境内社に古八幡神社・金刀比羅神社」とあるので、どちらがどちらかはわかりませんがその2社でしょう。
由緒
創始については二説。
- 天正末に細川国弘により創始(『全讃史』)
- 承平六年八月寶藏院妙海法印勧請(『名勝圖繪』)
『讃陽綱目』『三代物語』は当社を延喜式神名帳にみえる「讃岐国寒川郡 布勢神社」に比定しています。
ちなみにこの神社を含む一帯は雄装熊公園といい、新さぬき百景の一つだそうです。
神社の裏手にある光明寺の境内あたりを本丸とする石田城、別名小十九間城/雄装熊城(いずれも読みは「おそくま」)というお城がかつてあったとか。
この神社も昔は雄装熊八幡神社、あるいは小十九間八幡神社といったそうです。
明治4年郷社に列格、石田神社に改称。
香川県神社誌
承平六年(紀元一五九六)八月の創建にして初め雄装熊八幡宮と称し、一に小十九間八幡とも唱へられたり。天暦四年、治安三年、寛治四年等の再建修造あり。応永十年八月領主細川氏これを造営し永正五年十二月寒川右馬允元家之を再営せり
全讃史に『小十九間八幡在石田東村天正末細川国弘始祠之』と云ひ。名勝図会には『承平六年八月宝蔵院妙海法印勧請なり』とあり。天正年中兵火に罹り慶長十四年再興あり。寛永五年改築ありて棟札現存す。尚津田町の長町家に延宝四年当社再建の棟札ありと云ふ。現今の社殿は明治二十七年の改築なり。明治四年郷社に列せられ、石田神社と改称す。明治四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
当社は往古より国主地頭の尊信厚く境内又風致に富み近隣に史跡多し。乃木将軍曽て第十一師団長たりし時東讃の史跡を探りて夫妻親く当社に参拝あり。境内なる賽戦功碑の篆額は将軍の揮毫せしものなり。
御朱印
御朱印の有無は不明。
ネットで調べると香川県神社庁のページに連絡先もありますので、御朱印が気になる方は連絡してみるといいかも。
また、布勢神社と大蓑彦神社が当社の兼務社となっているので、そちらについても当社で確認すると良いかと思います。
アクセス
県道10号と141号が交わる本村西交差点から一つ東の交差点(位置)を南に入って直進すると神社横に着きます。
社頭に駐車場あり(位置)。
神社概要
社名 | 石田神社(いしだじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 雄装熊八幡神社 小十九間八幡神社 |
住所 | 香川県さぬき市寒川町石田東甲736 |
祭神 | 品陀和気命 足仲彦命 息長帯姫命 |
社格等 | 式内社 讃岐国寒川郡 布勢神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「石田神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「石田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 53コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 101-102コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 281コマ)
コメント
神社について調べている者です。
各都道府県の神社庁においても、ルビ(読み)や祭神の記述が落ちていたり、お粗末なものが多い中、貴殿の「神社概要」の表組は見事です!!
我々のような神社ファンが欲する情報を、端的に完璧に押さえておられます。感服いたしました。
>ひでさん
こんにちは。
お褒めにあずかり恐縮です。
極力多くの情報を載せるようにはしていますが、まだ大分端折っているところも多いので、随時追記していきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。