蛭子社。
西尾市吉良町宮崎宮前、蛭子岬の先端に鎮座する神社。
境内
鳥居
鳥居内側から
藤原宇合の歌碑
「暁の夢に見えつつ梶島の 石超す波のしきてし思ほゆ」
暁の夢に見えつつ梶島の石越す波のしきてし思ほゆ
藤原朝臣宇合
暁になると、夢の中で、梶島のかくれ岩を越す波のように、しきりに家郷を思い出します、という気持ちでしょうか。
作者の宇合は、大化の改新(六四六)で有名な藤原鎌足の孫でなかなかの文化人でした。四十歳のころ、蝦夷征伐の大将軍となって軍を進める途中、ここ宮崎の幡頭神社に戦勝祈願をしこの歌を詠んだと推定するのは決して無理ではないと思われます。
ちなみに、梶島の所在については、なお二・三の説がありますが、ここはその有力地です。
右寄りに見える島がおそらく梶島
スクリューと錨
下記案内板にある松隆丸の物…ではありません。
昭和三四年(一九五九)九月二一日超大型台風(一五号台風)がこの辺りを通過しました。伊勢湾台風と名づけられました。当時の新聞は次のように伝えています。
一五号台風で吉良町宮崎海岸に座礁した松岡汽船松隆丸は座礁当時のままの姿で救援を待っているが、同船では船内にある野菜・肉類など同乗組員四五名の三ヶ月分の食料を地元被害者のために放出し地元の人々を感謝させている。(昭三四・一〇・三付)
社殿
社殿
由緒
創建は社伝によれば永禄8年(1565)。
永禄3年(1560)、今川義元巡遊の際、この地は耕地少なく漁業にて生活するものが多かったため、漁業祖神の西宮大明神を祀ればよろし、ということで祀ったとのこと。
義元が釣りをした岩が現存するそうです(未確認)。
大正2年、秋葉社と津島社を合祀。
参拝時は幡頭神社の境外末社かと思っていたのですが、独立した神社のようです。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
幡頭神社の記事を参照。
幡頭神社の参道を下り、道路を渡ったすぐ先に当社はあります。
神社概要
社名 | 蛭子社(えびすしゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 愛知県西尾市吉良町宮崎宮前1 |
祭神 | 事代主神 迦具土神 須佐之男命 |
社格等 | 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「蛭子社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992