総社神社。
熊本市中央区万町の路地の奥、マンション横に鎮座。
肥後国総社に比定される神社。
境内
神門
隣のマンションの陰に隠れてしまっているので、すぐ西の市電が走る通りからはほとんど見えません。
事前に場所を確認していないと、なかなか見つけられないと思います。
鳥居
だいぶ新しい感じなのは、2018年に建てられた物だから。以前の鳥居は2016年の熊本地震で倒壊してしまったそうです。
扁額
これは旧鳥居から引き継がれたもの。
御神木
クスノキらしいです。樹齢はわかりませんが、市指定保存樹木となっています。境内北に隣接する4階建てのビルよりも高い立派な木。
社殿
社殿
本殿覆屋?
由緒
御祭神 建速須佐之男命・荒神霊
御由緒 万治元年勧請・明治十二年六月十九日存置
御神徳 家内安全・商売繁昌
御祭日 一月七日・十月十八日 齋籠祭(俗称 摺鉢舞)
創建は万治元年(1658)。
『肥後国誌』には「万治元年安楽寺の住僧により日光東照大権現と鎮守総社大明神を同寺に勧請した」という内容が記されているそう。
ただ、当社を肥後国総社に比定する説もあり、そうであれば平安後期頃には創建されているはず。
北岡神社(位置)が正保4年(1647)、北岡の森(現社地の熊本市西区春日)に遷座した際、古府中(熊本市二本木2丁目あたり)にあった数社を合祀しており、その中に総社宮があったとされます。
この総社宮=肥後国総社であったとすれば、北岡神社に合祀後、当地に勧請されたともとれますが、その辺りの詳細は不明。
万治元年~明治初期までは、現在のすぐ東にあった安楽寺の境内(現在、宗教法人生長の家の施設がある場所)に鎮座していました。
明治に入り神仏分離令を受け、安楽寺と総社神社は分離。境内由緒書には明治12年存置とありますが、いつ現在地に境内を遷したのかは不明。
なお安楽寺は明治10年に西南戦争で焼失し廃寺となっています。
神事として、齋籠祭(俗称・摺鉢舞)というものがあります。
北岡神社のサイトによると、昭和の初めまで「イゴモリ」という新年の豆まき行事があったといいます。
一月七日の夜、年神棚の前で当主が「イゴモリ」と三声を掛け、家中の火を消し、暗闇が続いた後に「福は内」の声で一斉に豆を撒き、年神棚に灯した火で家中の火をつける、というもので、天禄元年(970)から北岡神社で行われた「居籠の祓」が民衆化したものと考えられるそうです。
しかし、俗称の摺鉢舞で調べると別の内容が見つかります。
摺鉢舞は明治時代までこの地域で行なわれていた風習で、「ちょっとハレンチ」だという理由で明治30年頃から開催されなくなった、というもの。「すり鉢とすりこぎを手に腰をひねらせて踊る」そうで、どうもその歌詞が「ちょっとハレンチ」な模様。
それが平成4年11月、地元のイベント「風流街浪漫フェスタ」にて約90年ぶりに復活。以降毎年のフェスタにて行われており、「この日限りの雇われ神主が、すり鉢をかぶってすりこぎを持ち、商売繁盛・家内安全を祈願しながら各商店を回る」とのこと(ただしハレンチな部分は除かれているそうです…)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
本務社は北岡神社です。
アクセス
熊本駅の白川口(東口)から市電に沿って北東に向かいます。
呉服町停留場の手前の交差点(位置)を右手に入ると、すぐに生長の家の建物が見えてきます。
その手前(位置)、右手の路地を入っていくと神社。
車の場合、駐車場はないので近くのコインパーキング利用となります。
市街地なので徒歩5分圏内に複数あります。
神社概要
社名 | 総社神社(そうしゃじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 熊本県熊本市中央区万町2 |
祭神 | 建速須佐之男命 荒神霊 |
社格等 | 肥後国総社 北岡神社飛地境内社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「北岡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「北岡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995