疋野神社(玉名市立願寺)

疋野神社。

玉名市立願寺に鎮座。

式内社 疋野神社に比定される、疋野長者伝説ゆかりの神社。

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境内

縦に長い一の鳥居

 

扁額

 

社号標

 

狛犬

 

社号標2

 

二の鳥居

 

三百年前の石鳥居

肥後国細川藩の家老であった長岡筑後守・松井直之(八代城主)の寄進であり、之ほど古くまた、がっしりした鳥居は稀有である。

この鳥居は姿形の美しい明神鳥居で、額字は古文書(社宝)によれば、従二位卜部兼敬臣と記されている。

平成二十八年の熊本地震により貫が折れた為、修復が行われる。

 

修復された貫

 

扁額

 

狛犬

 

三の鳥居

 

扁額

 

狛犬

 

狛犬

 

手水舎

 

神牛

 

厄除鳥居

 

裏参道(車参道)鳥居

 

扁額

 

裏参道社号標

 

脇参道鳥居

 

扁額

 

脇参道狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

疋野長者御神陵

社殿裏手に疋野長者御神陵があります。

その名の通り、疋野長者の御陵と思われますが、いつからこうして祀られているのかは不明。

当地には『疋野長者伝説』という話が伝えられており、疋野長者はその主人公。元は炭焼きの小五郎といいました。

都の姫が「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」という夢のお告げを受け、当地にやってきて小五郎に嫁ぎます。

姫は小五郎に金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼みますが、小五郎はその金貨を飛んできた白鷺に投げつけます。白鷺は湯煙立ち上る谷間に落ちますが、暫くすると元気に飛び去っていきました。

姫は「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がりますが、小五郎は「あのようなものはこの山の中に沢山あります」と答えます。山には沢山の金塊があり、これによって小五郎は長者となって疋野長者と呼ばれました…というのが伝説のあらすじ。炭焼長者と呼ばれる、全国に伝わる同種の伝承の一つです。

白鷺が元気になった出湯が玉名温泉であるといわれます。一説には当社祭神は疋野長者だとも。

 

疋野長者御神陵

 

疋野長者御神陵標

 

疋野長者伝説

千古の昔、都に美しい姫君がおられました。

「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。

小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡し米を買ってきて欲しいと頼まれました。

しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。

傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きましたが、暫くすると元気になって飛び去って行きました。

米を買わずに引き返した小五郎に姫君は「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。

「あのようなものは、この山の中に沢山あります」との返事に、よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。

こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。

この疋野長者の御神陵には、金銀財宝が埋められているとも伝えられ、また毎年四月には長者祭りが行われています。

白さぎが元気になったいで湯は、現在では玉名温泉として栄え、また疋野神社は長者ゆかりのお宮として多くの御参拝をいただいています。

 

疋野長者御神陵

疋野神社は、式内社として由緒深く貴重な存在の神社です。

歴史の古いお宮だけに、『疋野長者』という伝説が昔から伝わっています。

玉名温泉の発見者と伝えられる長者の御神陵の前では毎年、桜の花も満開の季節に祭典が斎行されています。

疋野長者祭…毎年四月一日 夕刻午後五時

『長者の泉・福授の御神水』は長者の伝説にあやかって、開運招福・良縁縁結・健康長寿などを祈っていただいて下さい。

 

福授水

温かめでどうも温泉のよう(玉名温泉と同源?)。飲用も可能らしく、ポリタンクやペットボトルに汲む人が次々に来ていました。

社務所で500mlのペットボトルを100円で頒布しているので、入れ物の用意がなくても汲んで持って帰ることができます。

 

福授水上の神棚

境内社等

猿田彦神

 

荒神様

 

大黒様と恵比須様

 

遥拝所

 

力石

 

歌碑?

 

敬神之碑

 

御神木

 

なお当社の北、小岱山の中腹(金毘羅山?)には社殿建立前の磐座跡と推定される場所があるそうです。

由緒

疋野神社ご案内

●御祭神は神代の尊い大神様です

主神 波比岐神(『古事記』『延喜式』に見え朝廷の崇敬厚い神様です)

相殿 大年神(素盞嗚尊の御子神様で波比岐神の御父神様です)

●ご社殿は荘厳で堂々たる流れ造りです

現在の社殿は、約三百年前の延宝六年 藩主細川綱利公のご造営で、総けやきの素木つくりであり神殿の飛龍の彫刻も見事なものです。

●式内社であり由緒深い神社です

平安時代の国の法律書『延喜式』神明帳 記載のいわゆる式内社であり、県下でも貴重な存在の神社です(熊本県三社、玉名地方では当神社のみ)

また『続日本後紀』記載のいわゆる国史現存社であり、官社列格の年月日が明白にされています。(西暦八四〇年七月二十七日)

●旧県社であり格式高い神社です

明治初年には県下で真っ先に県社に列格されました(玉名地方では唯一の県社で最高の社格です)

●疋野長者ゆかりの神社です

疋野長者伝説の長者御神陵が社殿の裏にあります

長者の如き幸と福を祈って数多くのご参拝があります。また近くの玉名温泉は、長者発見の出湯と伝えられ、すぐれた泉質と歴史の古さは全国でも有数のものです。

●すばらしい鳥居と境内地です

二の鳥居は肥後藩家老長岡筑後守寄進の三百年を経た石鳥居であり、参道正面の純白の一の大鳥居は国内外数千人の人々の奉納で、県下にほこる大鳥居です。また当神社は玉名地方を見はらす高台にあり、春の桜、秋の紅葉も参拝の人々を楽しませてくれます。

 

裏面の疋野鏡徳賛歌

疋野鏡徳賛歌

(一)山は墨摺 木はみどり あやに畏し あまてらす 神のみいづの 大鏡 仰げや仰げ みめぐみを

(二)川は錦に 浪きよく 心をうつす 水鏡 朝な夕なに みそぎして みがけやみがけ おのが身を

(三)疋野の里は 幸多し 神の恵も増鏡 心くまなく うつしつつ 励めや励め 諸共に

(四)桜ヶ池の 真清水に 互にまこと うつしつつ 若しもけがれの 霧あらば 清めや清め とも鏡

(五)長者伝説 ゆかりの湯 鏡の如く 明らけし かたみに心 ひたしつつ ゆあめやゆあめ 思うどち

創建時期は不詳。景行天皇筑紫巡幸(82~88)の際に祀られたとも、それよりさらに古い創立とも。

 

元々は玉名郡司として栄えた日置氏の氏神を祀った神社とみられています。

当社の北東5.7kmほど、和水町瀬川に「いっちょ墓」「日置大明神」と呼ばれる場所(位置)があり、寛政6年(1794)にそこから「開白七道西海道大宰府 玉名郡小權擬少領小初位下日置郡公 又治地高野山」と記された銅板墓誌が出土し、玉名の郡司級に日置氏がいた根拠とされています。

その近くには、出土品が国宝となった江田船山古墳をはじめとする重要な古墳群も存在しています。

日置氏は肥沃な土地と鉄生産(菊池川の砂鉄を利用したといい、玉名市周辺に製鉄遺跡が確認される)という経済基盤を持っていたようです。

 

続日本後紀 承和7年(840)7月庚子(27日)条に「以肥後国玉名郡疋石神預官社焉」とみえる疋石神、ならびに延喜式神名帳にみえる「肥後国玉名郡 疋野神社」は当社に比定されています。

「疋石」「疋野」と表記が異なりますが、元は「疋石野」という地名があったそうで、石や野が略されたあるいは漏れたとする説があります。疋石野は日置野(へきの)=日置氏の領地が転じたものだとも。

 

しかし、平安時代末頃に日置氏は没落し、氏神である当社も廃れていきました。

没落の原因は製鉄技術が広まり優位性を失ったためともいわれます。

 

社伝によれば、菊池氏が疋石野大明神に宝物を見せるよう迫るも、大明神がないと答えたため、菊池氏は全てを焼いてしまったが、祟りがあったので再建。しかしこの再建社殿もまた戦国時代に島津氏に焼かれてしまったといいます。

 

延宝6年(1678)に細川綱利が再興。この時再建されたのが現在の社殿。

近世初期には社跡も不明になっていた旨の記録もあり、古来疋野神社の鎮座地が当地であったかは不明ですが、延宝4年(1676)に再建のため提出された『玉名郡立願寺村疋野大明神社之覚』には御神殿や末社といった記述が見えるため、ある程度の形跡や小祠は存在していたともとれます。

付近からは玉名郡衙や郡倉、神宮寺とみられる立願寺跡も発掘されており、当社も元々現社地あるいは付近に鎮座していたと考えられています。

 

明治に入り県社に列格。玉名地方では当社が唯一の県社でした。

 

現祭神は波比岐神。

この神については、屋敷の内外の守護神、旅人の守護神など、いくつか説があるのですが、一説に「波比岐」を「灰吹き」と解して製鉄の蹈鞴にちなむともいわれます。

先述の通り、日置氏は製鉄技術を有し鉄生産を行っていたため、製鉄の神として波比岐神を祀ったという見方があります。『式内社調査報告』『日本の神々』は疋野長者が炭焼きだったということと製鉄との関連性を示唆しています(製鉄には木炭が必要であったため)。

 

疋野長者が祭神だとする伝説もあります。

『玉名郡坂下手永立願寺村疋石野大明神由来』(延宝の再興のために提出された書の一つらしい)では、菊池氏に滅ぼされた疋野長者(の子孫?)が祟りを起こし、疋石野大明神とされたという由来が記されているようです。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

玉名駅から徒歩20分程度。駅を出て北に歩いて行けば、右手に境内が見えてきます。

 

車の場合、熊本市方面から北上(国道3号or県道31号→208号など)し、蛇ヶ谷公園南の交差点(位置)で左折。県道165号を750mほど行ったところ(位置)、左手に駐車場の案内が出ていますので、そちらに入ります。

あるいはそこから200mほど先の立願寺交差点(位置)を左折すると、すぐに一の鳥居が見えてきますので、鳥居を車でくぐります。その先、左手に駐車場あり。

神社概要

社名疋野神社(ひきのじんじゃ)
通称
旧称疋野大明神
住所熊本県玉名市立願寺457
祭神波比岐神現祭神

疋野長者

『玉名郡坂下手永立願寺村疋石野大明神由来』
相殿大年神
社格等

式内社 肥後国玉名郡 疋野神社

続日本後紀 承和七年七月庚子(廿七) 疋石神 官社

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttps://www.hikino-jinja.jp/
備考北の小岱山中腹(金毘羅山?)に社殿建立前の磐座跡と推定される場所あり

参考文献

  • 「疋野神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「疋野神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十四巻 西海道』皇學館大学出版部, 1978
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第一巻 九州』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 750-751コマ