阿沼美神社。
松山市味酒町に鎮座。
式内名神大社 阿治美神社の論社。
境内
社頭
鳥居
社号標
手水舎
裏参道入り口の竹の鳥居みたいなもの(正式名称あるんでしょうか?)
裏参道の手水鉢
社務所横の門を潜って境内へ
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
伊余夷子神社
勝山八幡神社
松山の八社八幡の八番社である。
『予陽郡郷俚諺集』によると、松前城主加藤嘉明が勝山(今の松山城)に築城を計画し、普請奉行の足立重信、山下八兵衛が調査に来たという。そのとき、山上に社があり、近くで薪を拾っていた老人に、この宮は何の神かと尋ねると、老人は、勝山八幡と言おうとして、勝たず八幡の宮と答えた。不吉ではあるが、敵が城に向かって勝たずなら吉相、それに、往古よりこの山に鎮座している御神であり勿体ないとして、北の麓に遷して奉ったという。
また、西の尾根にも社があり、老夫に尋ねると、越智郷の三島より勧請した三島明神であるという。これは吉祥であるとして、西の山の下味酒村へ遷座して祀った。のちに味酒大明神と呼ばれ、味酒神社と改称された、現在の阿沼美神社である。
嘉明の後を受けた第二代松山城主蒲生忠知は、勝山八幡神社を三宝寺とともに今市町に移したという。そして、明治八(一八七五)年、勝山八幡神社は、味酒神社(阿沼美神社)の末社としてその境内に移ったといわれる。
味酒天満神社
金刀比羅神社
稲荷神社
石祠
由緒
創建時期は不詳。
社伝によれば、久米氏が当地を領するにあたり守護を願い、阿沼山(勝山、現在松山城のある城山)の山嶺に祖神を降臨せしものとも、天智天皇3年(664)に伊予国司越智守興による創建とも。
往古は阿沼美三島大明神・勝山三島大明神と称したとも。
延喜式神名帳にみえる「伊予国温泉郡 阿治美神社 名神大」に当社をあてる説があります。
なお、「阿治美」は写本によるもの(『日本歴史大系』は誤記とする)で、神名帳の本来の表記は「阿沼美」であったとされます。
「阿沼美」の意味については、
- 阿沼は葦津、美は姫のことで、鹿葦津姫=木花開耶姫を意味するという説
- 天鈿女命を指すとする説
- 勝山と江戸山(西山、大峰ヶ台ともいい現在松山総合公園となっている山)の間に大沼があり、明神の神詠に「阿那美クシ沼哉」とあったことに由来するという説
があるようです。ネットで複数のサイトが取り上げているのですが、いずれも出典を明示していません。
おそらく、それぞれ以下を元にしているのではないかと思いますが、まとめて並記してある資料があるのかは不明。
鹿葦津姫説については度会延経の『神名帳考証』に「日本紀云鹿葦津姫亦名木花開耶姫按阿治葦津也美姫也」とみえます。
天鈿女命説は『予州二十四社記』に「美與女通、阿治女也、是天鈿女命也」とみえます。
大沼説については『予陽旧跡俗談』(『愛媛県編年史 第5巻』収録の『予松古跡俗談』と同一?)に「阿沼美神社は勝山の西の岨にあり、勝山と江戸山との間は、往古大沼にて、勝山より見おろせは、眺望殊に勝れたれば、明神の神詠に、阿那美くし沼哉と有りしより、阿沼美神社と号す」とあるのが『明治神社誌料』に引用されています。
また「阿治美」についても、
- 熱水の義で温泉に由ある神とする説(『予州二十四社記』)
- 味水だとする説(『式内社の研究』)
といったものがあり、誤記なのか判断しかねます。
慶長6年(1601)、社家の某女が一家の死滅に心狂し社殿に火を放ったために神宝古記を焼失したとされます。
その後慶長7年(1602)に加藤嘉明が松山城の築城に着手したため、勝山に鎮座していた当社は現社地である味酒に遷座、味酒神社・味酒大明神と称するように。
以降、一藩崇敬社として歴代藩主の崇敬を受け、社禄・御供料等の寄進があり、慶安3年(1650)には社殿再建。
元禄年間(1688~1704)に神道家の大山為起が京より招かれ当社神職となります。
大山為起の門人の著といわれる『予州二十四社記』に「為起曰、美與女通、阿治女也、是天鈿女命也、兼良公愚案抄ニ詳ナリ、今城下味酒村三島社者、式外神ナリ、勧請越智三島明矣、以阿沼美神社有為味酒三島神社、是神道ノ罪人ナリ」とあります。
これからすると、大山為起は当社を阿沼美神社ではないと考えたようです(阿沼美が天鈿女命を指すと考えたために、三島大明神であった当社は異なるとした?代わりにどこを比定したのかは不明。『予州二十四社記』には在地不知とある)。
そのためか、彼は当社にあったという阿沼美神社の遺物を旧庚申社地(どこかは不明)に埋め、また神鏡を江戸朝日八幡(現・朝日八幡神社)に、狛犬を大栗正八幡(現・雄郡神社)に、廊門を改造して八反地国津彦社(現・國津比古命神社)に与えるという奇行に出たと『阿沼美神社考証』にあります。
明治3年官命により延喜式内名神大阿沼美神社と改称(同時に社領は廃止)、明治5年県社列格。
昭和20年の松山大空襲により社殿等建築物焼失。
昭和32年、社殿新築(現社殿)。
祭神は大山積命、高靇神、雷神、味耳命。
味耳命は新撰姓氏録左京神別に「久米直 高御魂命八世孫味耳命之後也」とあり、久米直の祖とされる神。
また面足神、惶根神、神八井耳尊を合祀。
『阿沼美神社考証』は阿須波神を祭神だと論じます。
上述の、大山為起が朝日八幡神社に与えた神鏡には「足煩神社」と銘があったといい、同書はこれを「アスハ」と読むとします。そして宮古町(味酒町2、3丁目の旧称)は日本書紀にみえる熟田津石湯行宮のあった場所を暗示するとします。
よって「熟田津及石湯の所在たる味酒郷に行在所あり、宮古町の当りはこれなるべく此処に大宮地の神なる阿須波神の祭祀せられし所以也と解釈す」と結論づけています(とすると、当社は元来当地にあって、衰退後に勝山から三島社が遷ってきたということなのでしょうか?)。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
伊予鉄の古町駅から徒歩3分ほど。
車なら、国道196号の札ノ辻交差点の一つ北の交差点(位置)を西に入り、250mほど先の阿沼美神社西交差点(位置)を右折。80mほど先、右手に駐車場(位置、ちょっとわかりづらいですが…)。
神社概要
社名 | 阿沼美神社(あぬみじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | 阿沼美三島大明神 勝山三島大明神 味酒神社 味酒大明神 | |
住所 | 愛媛県松山市味酒町3-1-1 | |
祭神 | 大山積命 高靇神 雷神 味耳命 | 現祭神 |
阿須波神 | 『阿沼美神社考証』 | |
配祀 | 面足神 惶根神 神八井耳尊 | |
社格等 | 式内社 伊予国温泉郡 阿治美神社 名神大 旧県社 | |
札所等 | 松山八社八幡八番(境内社勝山八幡神社) | |
御朱印 | あり | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 慶長7年(1602)まで勝山(松山城のある山)に鎮座 |
参考文献
- 「阿沼美神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「阿沼美神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 336-337コマ)
- 鵜久森熊太郎『阿沼美神社考証』愛媛県神職会, 1920(国会図書館デジタルコレクション)