日長神社。
安城市高木町鳥居に鎮座。
式内社 日長神社の論社。
境内
社号標
鳥居
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
秋葉社?
熱田大神宮(「熱」が「𤍽」かも…)の石碑
由緒
由緒
祭神 天照大御神(旧大日孁貴尊)
創建は天長年中(八二四~八三四)と伝う 当神社は往古より式内社として村民の崇敬殊に篤く天正十二年(一五八四)小牧長久手の戦いに高木善次郎清秀当神社に武運長久を祈願し池田勝人を討ちたり 慶安二年(一六四九)水野和泉守の検地帳に当時の高木村小字名として鳥居、日宝前、日長田、神子田、御用米、油田、半崎等当神社にゆかり深き地名の存するは信仰の深きを偲ぶことができる 寛文七年(一六六七)水野監物への万書上帳に創建当時は境内十八間四方とあり明和六年(一七六九)天草太郎左ヱ門及び明治四年(一八七一)額田県への書状にも同様に記す 明治の初め村民延喜式内の日長神社なりと具申したが教部省より式内未定社の通達を受ける
明治五年(一八七二)十月村社に列格し同四十二年(一九〇九)九月一日供進指定社となる
社伝によれば創建は天長年間(824~834)。
文徳実録 仁寿元年(851)10月乙巳(7日)条に「進参河国…日長…等十一神。並授従五位下」とみえる日長神、また延喜式神名帳にみえる「三河国碧海郡 日長神社」を当社とする説があります。
『三河国内神名帳』にみえる「従四位下 日長明神」についても同様。
天正12年(1584)、小牧長久手の戦いの際、高木主水助(善次郎とも)清秀が当社に武運長久を祈願し池田勝人を討った、という伝えがあります。
高木清秀は徳川十六神将の一人に数えられたという武将で、その姓は当地名から取ったものだとも。
『碧海郡誌』によれば古くは縣神社と称されていたとのこと。
明治初年、村民が延喜式内の日長神社であると具申したものの、教部省より式内未定社の通達を受けました。
明治5年村社列格。
現祭神は天照大御神。
旧大日孁貴尊、との注記が由緒碑、『愛知県神社名鑑』にあるので、どこかの時期に神名の表記を変更したものと思われます。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
言葉では説明しづらい位置にあります…
極力広めの道で来ようとするなら、国道1号の安城街道入口交差点(位置)を南へ。
県道47号を2.4kmほど走ったところ(位置)で左折(ここから田んぼの中の道でやや狭い)。
650mほど先(位置)で右折。150mほど先で左折しちょっと進むと境内西側から入れるところ(位置)があります。あるいはその先進んで社頭に出れば、社号標後ろあたりにもスペースあります。
なお100mほど西に山碕神明社という神社があり(位置)、境内西側に駐車場があります(境内に山崎城址という市指定史跡があるせいか、ちゃんとした駐車場が整備されている)。そちらお借りして一緒にお参りするのもいいかも。
神社概要
社名 | 日長神社(ひながじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 縣神社 |
住所 | 愛知県安城市高木町鳥居1 |
祭神 | 天照大御神(旧大日孁貴尊) |
社格等 | 式内社 三河国碧海郡 日長神社 日本文徳天皇実録 仁寿元年十月乙巳(七) 日長神 従五位下 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「高木村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「日長神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988